私たちの街・豊岡

豊岡を知る

わこう堂のある豊岡市は、兵庫県北部に位置する、県内最大の面積を誇る市です。

1950年に豊岡市は発足。その後、行政区域の変遷を重ね、2005年4月1日、兵庫県の北東部に位置する1市5町(豊岡市・城崎町・竹野町・日高町・出石町・但東町)が合併し、改めて現在の豊岡市ができました。市内の約8割は森林で、中央部には但馬最大の盆地である豊岡盆地が広がります。北の日本海沿岸部は山陰海岸国立公園に属しており、市の中央にはさまざまな生物が生息している一級河川の円山川が流れる、自然環境に恵まれた場所です。

豊岡市は日本で最後の野生コウノトリの生息地としても有名で、2005年9月にはコウノトリが自然放鳥され、人里で野生復帰を目指すという世界的にも例をみない壮大な取組みが行われています。

主な産業としては、農林水産業と観光業などが盛んです。特に観光業では、関西でも有数の温泉地として名高い「城崎温泉」があります。その他にも、スキー・登山・スポーツ合宿で人気の「神鍋高原」や海水浴場として賑わう「竹野浜」、但馬の小京都で蕎麦が有名な「出石城下町」など、年間420万人以上が訪れる観光スポットの豊富な街です。さらに近年は地場産業であり、全国4大産地の一つである「鞄の街」としても、多くの人に知られています。

豊岡とコウノトリ

豊岡の地名を聞くと、コウノトリを思い浮かべる人も多いかもしれません。

国の特別天然記念物であるコウノトリは、かつて日本全国で見ることができました。
しかし、環境破壊などの影響で徐々に数を減らし、明治中期頃には、豊岡でしか見ることができなくなり、昭和46年に豊岡市内で生息していた一羽を保護したことで、日本の空からその姿が消えました。

豊岡では絶滅に先立ち、昭和40年より野外のコウノトリを保護し、人工飼育を開始。
しかし、繁殖は困難で失敗の連続でした。
飼育開始から25年目の春、平成元年にようやく待ちに待った初のひなが誕生し、それから少しずつ新たな生命が増え始めていきます。

コウノトリは、私たちに身近な人里で暮らす鳥です。
増殖したコウノトリが野生に戻るためには、豊岡の町に、彼らを受け入れる環境が再生されていなければなりません。

そんな中で考えられたのが「コウノトリ育む農法」で作られた、「コウノトリ米」です。
無農薬・減農薬で、早い時期から田んぼに水を張る早期湛水や雑草を抑えるための深水管理などの手間暇をかけた農法を行うことで、コウノトリの餌である多くの生物が、一年を通して、田んぼに豊富な状態を保っています。

「コウノトリ米」はコウノトリの野生復帰を支える、たくさんの命がつまった大切なお米です。
わこう堂でも「ふわっとろっしゃ大福」や「一升餅」などの材料として、大切に使わせていただいています。

そうした豊岡の町を上げての取り組みもあり、平成17年には野生復帰に向けて初の放鳥を行いました。

“再び、豊岡の空を舞ったコウノトリ”
空へ飛び出した瞬間、人々から大きな歓声と拍手が沸き上がりました。

そして、時代は令和となった現在、豊岡周辺には100羽以上のコウノトリが生息していると言われています。
田んぼへと舞い降りて、悠然と歩きながら食事をする、野生のコウノトリが見られるのは、豊岡ならではの特別な光景です。

幸せを運ぶ鳥、コウノトリ

日本でコウノトリは、赤ちゃんや幸せを運んでくる鳥として有名です。

これには諸説ありますが、ヨーロッパなどで、「家の上を飛ぶことは赤ちゃんができる前兆」や「屋根に巣を作ると縁起が良い」と言われていたことが、日本におけるコウノトリ伝説の由来とされています。

コウノトリの町・豊岡にも子宝神社として知られる『久々比(くくひ)神社』があります。
コウノトリの恩恵にあやかりたいとの想いを胸に、全国各地より多くの人々が参拝に訪れています。

コウノトリと子宝の話では、平成17年に豊岡で行われたコウノトリの放鳥式典にご出席された秋篠宮ご夫妻が、放鳥時の様子を翌年の歌会始の儀で詠まれた直後、紀子様にご懐妊が判明し、大きな話題となりました。

実は、その放鳥式典の際に、久々比神社よりご夫妻にはコウノトリの子宝祈願の御守りが贈られていたそうです。

私たちわこう堂もコウノトリと縁深いお菓子を通じて、日本全国の方々に幸せを運びたいと願っています。

お菓子発祥の地・豊岡

知る人ぞ知る「日本のお菓子発祥の地」としても有名な豊岡。

その理由は、お菓子の神様「田道間守命(たじまもりのみこと)」が祭られている『中嶋神社』が豊岡市内に建立されているからです。

田道間守命は「古事記」や「日本書紀」でも登場するお菓子の神様。
遥か昔、田道間守命は第11代垂仁天皇の命により、遠い海の向こうにある「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」を探すよう言われました。非時香菓は、現在の橘であると言われ、みかんの原種となるものです。当時の日本には、非時香菓が無く、食べると歳をとらずに長生きが出来ると信じられてきました。

田道間守命は、彼の地で十年の歳月をかけて、非時香菓を発見。喜び勇んで非時香菓を持ち帰りましたが、その一年ほど前に天皇は亡くなっており、持ち帰った橘の半分は皇太后に献上され、残りの半分を天皇のお墓に植えた後に、悲しみのあまり亡くなったと伝えられています。

当時、橘のような果物は「果子・かし」と呼ばれており、橘は果子の最上級品とされていたことから、田道間守命はお菓子の神様として崇敬されました。

その田道間守命を祭った『中嶋神社』はお菓子の神社として親しまれ、毎年4月の第3日曜日に開催される「菓子祭」には全国の菓子業者が商売繁盛の祈願に訪れます。また、平成23年からは前日に「菓子祭前日祭」として、市街地には県内外の多くの菓子店が出店し、お菓子コンテストなども実施されており、全国各地から訪れる多くの来場者で賑わっています。

お菓子コンテストでは、わこう堂のお菓子もたくさんの賞をいただいています。

2014年 第4回新作限定スイーツコンテスト 「ふわっとろっしゃ」優秀賞
2015年 第5回新作スイーツ 「苺のモッチーズ生どら」最優秀賞
2017年 第7回スイーツコンテスト 「橘ソフトクッキー」特別審査員賞
2019年 第9回スイーツコンテスト 「ふわっとろマシュマロスウィーティー」優秀賞

素敵なお菓子に出会える町・豊岡で、皆さまのお越しを心から、お待ちしております。